「検査に過失ない」はずがない

姉歯設計事務所の設計図書を審査したのは「イーホームズ」という会社だそうだ。その会社は「審査に過失はない」と言っているとか。本来あるべきはずの「「認定番号」がなかった、などの形式的不備すら見過ごして「過失はない」とはよく言えたものだ。それに柱の太さや鉄筋の本数など、もし報道されているような偽造があれば、一目で「おかしい」と思われるような内容だったに違いない。それを見抜けなかったとすれば、建築に関して素人だった、と自ら認めているようなものだ。
あまり世間を馬鹿にしないほうがいいと思うが。

震度5強で倒壊も

一級建築士が設計書を偽り、マンションやホテルが地震の際の安全性に問題があるという。
書類の偽造で思い起こすのは、カネボウの決算書を偽った公認会計士である。あの時会計士は「顧客の要望を入れなければ、2億円の顧問契約が解除されると思った」と言っていた。あの会計監査を信じてカネボウの株を買い、大きな損害をこうむった人がいるに違いない。それと引き換えに公認会計士は2億円の契約を得た。
今回の事件でも多くの人が自宅の崩壊の危機に直面している。その損害は大変なものに違いない。それと引き換えに設計士は何を得たのか?11月18日付けの新聞は渦中の設計士の自宅を下記のように記している。
「2階建て住宅を事務所兼用にしており、入り口ドアに「姉歯建築設計事務所 一級建築士事務所」の表札を掲げている。玄関前のランプは壁から外れかけ、壊れたインターホンの代わりに「ベル」と書かれたブザーが備えつけられていた。缶や瓶などを入れたゴミ袋が十数個も玄関先に置かれたままだった。」
描写からは設計士の貧しさが思い浮かぶ。そんなわずかなお金のために、良心を売り飛ばしてしまったのか?

ウーマンリブに少子化問題が解決できるか

今朝のテレビで猪口邦子氏が少子化問題を論じていた。「欧米各国とも女性の雇用が増えるに従って出生率が上がっている。わが国だけ女性の雇用機会が増えないまま出生率が下がりつづけている。男女の雇用均等が実現されない限り少子化問題は解決しない。」
これを聞いていた西部邁氏の反応は「大臣のおっしゃる事ももっともだが、もっと家庭というものを大事にしないと問題の解決にはならないじゃあないのか。女性が社会で働く事も大事かも知れない。中には大臣になるような女性もいるだろうが、大部分の女性は新しきプロレタリアート・賎民層を形成しているのではないか。スーパーのパートのような単純作業よりも家庭で家を守るという創造的な役割を果たすべきではないか」であった。
「ドイツでは子供に月25万円を支給しているくらいだ。わが国でも第三子からは国が育てる、位のことを政策としてやらないといけない。」という意見に対して西部氏は「民に出来ることは民に、といいながら子供を育てる事も官がやるのか?!」と。
今日本の国民が子供を産まないのは将来への不安が隠せないからだ。明るく活気のある国の将来像が見えてくれば出生率は自然に上がるだろう。出生率は国民による政権への評価の最も正直な提示方法である。
ウーマンリブの伸長がかえって出生率を下げなければいいが・・・杞憂である事を祈る。

記憶は絶対にございません

「野中氏関与を否定」と題する読売新聞の記事の中の言葉。
”記憶は絶対にない”という言い方、とても変。そもそも”記憶がない”というのは曖昧さを伴うものではないか。昔の出来事が霧のなかでモヤモヤとしていてよく鮮明に思い出せないから”記憶にない”というのであって、”記憶は絶対にない”なんて自分はウソをついている、と白状しているのと同じではないですか!?

日経新聞の靖国参拝批判

23日の日経新聞には靖国参拝について僕と同じ視点で評論が載っていた。
靖国参拝への尽きぬ疑問」と題するその記事にいわく。「戦没英霊に対する首相の深い思いを批判する人は皆無だろう」まさにそうだ。
「問題は靖国神社に戦場で倒れたわけでもない戦争指導者が合祀されていることである。」そうそう!それが問題なんだ。
「戦争指導者を合祀する靖国神社に参拝する事が日本の首相の行動として政治的に妥当かどうか、憲法政教分離の原則に抵触していないかどうかが議論になっているのである。」論点は全く異論がないが、本当にそれが議論になっているのか?韓国や中国の言い分を正しく報道しないで、「内政干渉だ」と感情的に煽り立てているのがマスコミの現状じゃあないの?
「中国の批判に真正面から反論し、A級戦犯の合祀を正当化するには「東京裁判は不当であり、あの戦争はやむにやまれぬ自衛戦争だった」という理屈しかない」ここだな、問題は。僕はまさしく「東京裁判は不当であり、あの戦争はやむにやまれぬ自衛戦争だった」と思っているが、だけど靖国神社に戦犯が合祀されていることには疑問を感じる。それは戦犯が犯罪人だからではなく、あくまで靖国の存在意義が「戦場で倒れた人を祀る場所」であるべきだと思うからだ。戊辰戦争以後、国のため平和を勝ち取るため、やむにやまれず戦争に行って死んでいった名も無き人達を祀る場所であって欲しいからだ。戦犯といわれる人達はともかくも戦争では、いや戦闘では死ななかった。その人達を靖国に祀る意味はないではないか。
戦犯を靖国に合祀する、というのは戦後大分たった1975年頃に行われた事らしい。しかもその運動の先頭に立ったのは当時の社会党の議員だ、というから歴史とは分からないものだ。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1449217

元自民党幹事長か元外務大臣か

日曜日朝の報道番組に出演した加藤紘一氏の肩書きは「元自民党幹事長」だった。確か加藤氏は外務大臣もやった事があるはずだ。であるにも拘らず「元幹事長」というからには本人もそう書いてもらうことを望んでいるからなのだろう。
自民党政権政党とは言えいわば私的団体だ。その幹事長が国家の正式な役職である大臣より名誉ある職なのだろうか?
河野洋平氏は将来どう紹介されるのだろう。「元自民党総裁」なのか「元衆議院議長」なのか?
そう言えば先の衆議院選挙の時、郵政民営化法案への反対派の誰かが「私は生まれついての自民党員。しがみついてでも土下座をしてでも自民党からは離れません」と言っていた。(確か野田聖子氏?)自民党ってそんなに凄い絶対的な存在なのか?

マスコミよ、靖国神社問題を正確に報道せよ

小泉首相靖国神社へ参拝を行った。服装も普通の背広、昇殿もせず、記帳もせず、というものだったがやはり中国・韓国の政府からは抗議の声があがった。そしてまたそれをマスコミがあおりたてる。マスコミの報道は的を得ているのか?
小泉首相が言う「戦争で亡くなった方に敬意と感謝の気持ちを表すのは有意義だ」というのはたぶん正論だ。
阪高裁の判決は「戦没者を祀るのが神道という個別の宗教であることが問題だ」と言っているようだ。
中国や韓国の言い分は多分「戦地で散った兵士・兵卒への哀悼の念なら分かるが、靖国神社には終戦後も生きた戦犯達まで祀ってあるではないか。我々の敵、日本人民の敵でもあった戦犯達を拝むのは止めてくれ。」という事ではないか。
互いの論点がすれ違うところに、そしてそのすれ違いを明確に認識しないところに靖国問題の一番のポイントがある。
それぞれの論点を明らかにしてすれ違いについての認識を促す事こそマスコミの役割ではないか。それなのに「国のために若い命を落とした人達の冥福を祈る行為を、外国の人間がとやかく言うべきではない。」などの主張を繰り返す事は互いの誤解を拡大するばかり。日本政府が明かにすべきは「何故参拝するか、参拝の意義」ではなくて、「何故戦死したのではない人を祀るのか」である。ついでに公明党など小泉首相の参拝に反対する日本人達には何を反対しているのかを明確にしてもらいたいものだ。
誤解が誤解を生み、最後は力で決着をつけよう、なんてならない事を祈っている。

後日談:こういう問題は最終的には第三者の意見、国際社会の意見がどちらの味方につくのかによって決着すると思う。ちなみにニューヨークタイムの18日社説は「参拝は無意味な挑発」という意見らしい。(10月19日付け読売新聞朝刊)