聖人になると言うこと

『前法王ヨハネ・パウロ2世を「聖人」の前段階である「福者」にするための手続きを開始する儀式が28日夜、ローマのサンジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂で行われた。』との記事を見た。『儀式では、審査担当者らが秘密を守り、贈答品などを受け取らないことを宣誓した。』そうだ。聖職者達の集まりでも随分と世俗的なものだ。
『今後、前法王の全著作や私的文書も含めた書類などを調査し、関係者の証言を集める。』との事で、死んだ後で手紙や日記をゴソゴソされるのはかなわないなあ、と思うのは僕が凡人だから。法王ともなるとどれだけ自分の思いに正直になってもそれを他人に見せて平気ということなんだろう。
さらに言うと『殉教者以外は「死後に奇跡を起こした証明」が必要』なんだそうで、なんとなく殉教する人が多いのが分かる気がする。
『奇跡情報について電子メールでも募集を始めた。(中略)「バイク事故で危篤状態だった少年が、『ヨハネ・パウロ2世に祈りましょう』と神父が呼びかけたところ、意識を回復した」などの証言が寄せられているという。 』
やはり宗教は奇跡と切り離せない?