人名漢字の制限は民主主義の自殺

法制審議会の人名用漢字部会が「娼」「骸」「尻」「嘘」「腫」「罵」などの字を人名漢字からはずすと言う。6月に同部会が出した578文字の追加案に対し、「人名として不適切だ」などとする民間の意見に従ったものだ。
この事件、私には民主主義の自殺行為に見える。その次が人名としてふさわしいかどうかは個人個人が判断すれば良い事であって、決してトップダウン的に決めるべき事ではないはずだ。その点で、6月に人名用漢字部会が恣意を排して客観的に頻度の大きい文字を選びそれを人名用として追加しようとしたのは正しい動きだった。民主主義における民と官の役割分担を考えると、官は客観的データを提供し、民が自己責任において判断・選択する、という関係であるべきだ。三菱自動車問題においても、官が行うべきは三菱製を排除することではなく、各社車種別の事故率など客観的データを提供する事であり、そのデータを元に消費者が自らのリスクで車種を選択すればよいことだ。
人名にもどると、前の韓国の大統領は盧大愚という人であった。「大愚」という名の懐の深さを思った。モンゴルには「ひとでなし」とか「犬の子」「糞まみれ」などを意味する名前があるそうだ。悪霊から子供を守るため、悪霊を欺くため、とか。
いずれにしろ、判断すべきは個人個人である。自ら責任ある判断を放棄してしまうのは民主主義の自殺以外のなにものでもない。